紹介
「初等数学の会」は早川学而先生による個人研究誌「初等数学」復刊を機にできた, 数学愛好グループです.
「初等数学の会」規約
第1条(名称) 本会を「初等数学の会」とする。
第2粂(目的) 同人誌「初等数学」を編集し、発刊することを目的とする。
第3粂(資格) 数学の愛好者であること。
第4条(代表者) 以下の3名を代表者とする。
松田康雄、宮地俊彦、繁木伸孝
第5条(業務分担) 業務分担を次のように定める。
編集責任者・世話役 松田康雄
発送責任者・顧問 宮地俊彦
会計業務・事務局 繁木伸孝
附則1 本規約は平成21年10月7日から施行する。
附則2 設立年月日は平成8年2月4日である。
会員数:日本全国に約250名
「初等数学」の経緯
昭和59(1984)年9月:早川学而(はやかわがくじ)先生(福岡県立高校、久留米大学附設
中学高等学校等に勤務)が創刊
平成5(1993)年5月:27号で休刊
平成8(1996)年2月4日:第1回初等数学の会(於.福岡県立福岡高等学校)
28号を再刊。以後毎年3号程度を発行。
平成10(1998)年8月29日:第2回初等数学の会(於.北九州市ひびき荘)
平成12(2000)年8月20日:第3回初等数学の会(於.ベネッセコーポレーション大阪支
社)
平成16(2004)年1月8日:早川学而先生ご逝去(94才)
平成16(2004)年10月:50号を発行
平成26(2014)年11月:75号を発行
平成31(2019)年3月24日:第4回初等数学の会(於.TKP博多駅筑紫口ビジネスセンター)
令和2(2020)年10月1日:89号を発行
創刊のことば 「初等数学」創刊号のまえがき
創刊のことば
「初等数学」という、ささやかな個人研究誌を発刊することにする。
俳句でも短歌でも、趣味、芸能の世界では地方誌あるいは個人誌、同人誌とまことに多彩である。
数学もある面では、芸であり、趣味である。独り酒盃を酌むような、天衣無縫な気持ちで取り組んでみたいと思っている。
初等数学の内容も、現行高校程度位までを標準として取扱いたい。
人生を一つの山に例えるならば、すでに下り坂の終着点間近い私の年齢であるが、教育とか、受験とか、一切の制約を超越脱皮して自由に、純粋に、もう一度初等数学の世界に回帰してみたいと思ったからである。
数学にとりつかれた少青年の日から、どんなに小さくとも、自分で考え、努力して、「数学する」ことを主体として、何か「独創的なもの」をと求め続けてきた。
あと余生少ない残された期間、今までいろいろと頂いた恩恵に対し、感謝の気持ちもこめて、この仕事を企画してみたいのである。
大方の御教示をいただければ幸甚と思い創刊のことばにかえたいと思う。
昭和59年 初秋
74才老 早川学而
再刊号(28号)のまえがき
初等数学の再刊に寄せて 宮地俊彦
早川学而先生が「初等数学」という個人研究誌を始められたのは昭和59(1984)年,先生74歳のときである. 先生は福岡県立福岡高校で長年にわたって教鞭を執られ,当時から全国に名を知られた高名の数学教育の研究者であった.また九州数学教育会の運営にも深く関られ,私たち後輩の指導に当たってこられた. その後先生は久留米付設高校に10年お勤めになり予備校水城学園でご勤務のかたわらこの研究誌を刊行なさったのである.日本は世界で一番豊かな国であると言われているが初等数学の研究においては最貧国 にあり,諸外国が長い歴史をもつ初等数学の研究誌が存在するにもかかわらず,我が国においては残念ながら早川先生の「初等数学」において嚆矢とする.しかもそれは,金銭的にも編集発送作業等においても, すべて先生の一方的なご尽力及び献身によるものであった.(中略)
そのような意味においてこの「初等数学」は早川先生の生き方そのものであり,先生のご人徳そのものとも 言えるものである.その人柄に引き付けられるように,最初11頁で出発したものが,着実に読者,投稿者 を増やし頁数が100を越えることも多く,背表紙に誌名を入れられるまでに成長したのである.また先生の お付き合いの広さから九州大学,名古屋大学,東京学芸大学,茨城大学の名誉教授であられる,中沢貞治, 栗田稔,清宮俊雄,北村泰一の各先生の論文が各号を飾るようにもなった.
ところが,先生の健康上その他の理由により平成5年(1993)5月発行の27号をもって突然に終刊を迎える こととなった.なんとか再発行をとその誌友は強く願望していたのであるが,先生のご健康の理由となれば いかんともしようがなかった.その後,時はいたずらに流れ昨夏明治学園の松田先生より「初等数学」再刊 の話が持ち上がり,松田,繁木,宮地が太宰府の先生のお宅を訪ね誌名をそのまま利用させていただくお許しをいただいた.その後は松田先生が大部分一人で編集を引き受けられ,また多くの誌友の励ましの言葉,金銭面での援助,論文の提出の協力等のお陰で,やっと再刊1号をお手元に届けることができるようになった.更なる誌友のご協力により再刊2号が発行できることを念願している. (1996年1月7日)